無理ゲー地方創生

東京一極集中の果てに地方ではどんな未来が待ち受けているのか

言い出しっぺが何もしない地方創生の問題点

「地方創生」という言葉は、今や国の重要政策の一つとして広く認知されるようになりました。2014年、安倍政権下で「地方創生担当大臣」が新設され、「まち・ひと・しごと創生本部」が発足。以降、移住支援、関係人口の創出、地域おこし協力隊など、様々な施策が展開されてきました。

 

しかし、多くの国民、とりわけ地方で暮らす人々が感じている違和感があります。それは、「言い出しっぺである国の中枢――すなわち中央省庁や官僚、さらには政府機関そのものが、一切地方には行こうとしない」という現実です。

掛け声だけが響き、当事者はその場を離れようとしない。この構造的な矛盾こそが、地方創生が本質的に空転し続ける最大の要因ではないでしょうか。


地方創生を推進する中央省庁が、なぜ東京一極集中の温床に?

政府が掲げる地方創生の目的のひとつは、「東京一極集中の是正」です。ところが、その音頭を取るのは霞が関の中央省庁であり、そのほとんどは東京都心の一等地に集まっています。

当然ながら、官僚も政治家も、生活も仕事もすべて東京で完結しています。例えば、総務省や内閣府の地方創生推進部門の職員が、実際に地方に住み、そこで政策立案を行っているという例は極めて稀です。

むしろ、彼らが「地方の声を聞く」と称して行う出張や視察は、ごく短期的な滞在に過ぎず、地域に根差す感覚とは程遠いのが現実です。


地方移転のかけ声と「骨抜き」の実態

過去には「中央省庁の地方移転」も検討されました。代表的な事例として、文化庁の京都移転が挙げられますが、実際に移ったのはごく一部の部署であり、主要機能は依然として東京に残ったままです。

また、農林水産省の一部機能を地方へ、という議論もありましたが、結局のところ大規模な移転には至っていません。これらは「移転した」という事実だけを作るための“政治的アリバイづくり”であり、実態を伴った改革とは言いがたいものでした。

つまり、「地方にも役所をつくる」ではなく、「本気で中央を動かす」改革が行われた例はほとんどないのです。


なぜ官僚は地方に行かないのか? 根深い構造の問題

この問題には、いくつかの深い構造的要因があります。

1. 官僚機構が中央集権モデルに最適化されている

日本の行政制度は明治以来、中央集権体制のもとで発展してきました。すべての意思決定が東京で行われ、地方はそれを実行する出先機関に過ぎないという構造です。政策の立案・決裁・調整はすべて霞が関で完結するようになっており、そもそも地方に展開する必要がありません。

2. 人事制度とキャリアパスが東京中心で設計されている

中央省庁の幹部候補は、東京の本省で実績を積むことが出世の条件です。地方に出向することは、場合によっては“遠回り”と捉えられるため、積極的に地方で働こうとする官僚はほとんどいません。

3. 「現場を知らないまま制度を作る」悪習

「制度は東京で作り、現場は地方に任せる」という慣習は根深く残っています。その結果、地方の現実とは乖離した制度が量産され、現場は“補助金消化のための資料作り”に追われるという悪循環に陥ります。


地方創生のためには、まず中央が“本気”で動くべきでは?

このような構造的矛盾を抱えたままでは、地方創生という言葉自体が空虚に響きます。むしろ、現場の自治体職員や住民、移住者のほうがよほど本気で地方を考えているという皮肉な状況です。

もし本気で地方創生を目指すのであれば、以下のような「中央側の覚悟」が必要なのではないでしょうか。

  • 中央省庁の一部機能を段階的に本格移転する

  • 官僚の人事評価に「地方勤務」を組み込む

  • 政策立案の拠点を地域ごとに分散化する

  • 地方現場での生活・仕事を経験しないと制度を作れないようにする

つまり、「地方創生=地方に任せる」ではなく、「中央がまず自らを変える」ことが、真の地方創生の第一歩なのです。


おわりに:言葉ではなく「行動」で示せるか?

「地方創生」というスローガンは、確かに人を惹きつける響きを持っています。しかし、最も発信力を持つ政府や官僚が、実際には地方に行こうとせず、構造を変えようとしない限り、それは単なる看板でしかありません。

地方創生が単なる「交付金配布政策」や「補助金バラマキ」に終わるのではなく、地方が自らの力で未来を切り拓いていけるような仕組みをつくるためには、まず「創生」という言葉の意味を、国の中枢が本気で問い直すべき時期に来ているのではないでしょうか。