近年、「地方創生」が叫ばれる一方で、地域社会は依然として深刻な人口減少と少子高齢化に直面しています。特に地方における若年層の流出と高齢化の進行は、地域社会の持続可能性を根底から揺るがす深刻な問題です。
しかし、ほんの数十年前、日本は「人口が増え続ける時代」を経験していました。戦後から高度経済成長期にかけて、日本の人口は右肩上がりに増加し、社会全体に活気と余力がありました。
では、なぜ今は真逆の状況になってしまったのでしょうか? この記事では、戦後の人口増加期と現在の人口減少社会を比較しながら、「地方創生がなぜ難しいのか」を深掘りしてみたいと思います。
戦後〜高度経済成長期:人口が増えることが前提の社会
日本は第二次世界大戦後、急激な復興と経済発展を遂げました。その原動力の一つが「人口増加」です。
▼ 数字で見る人口の推移(参考値):
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1945年(終戦時):約7,200万人
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1960年(高度成長期開始):約9,300万人
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1973年(高度成長終了):約1億人超
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2008年(人口ピーク):約1億2,800万人
この時代は、「結婚して子どもを持つのが当たり前」「家族は3人以上」「若者は田舎から都市へ出て稼ぐ」という価値観が社会全体に浸透しており、地方から都市への人口移動はあったものの、地方にも人口の“土台”があったのです。
つまり「地方から若者が出ていっても、まだ余力があった」。人口が自然に増えることを前提に、経済やインフラ、教育、行政サービスが整備されていたのです。
現代:人口が減ることを前提とせざるを得ない社会へ
ところが2008年をピークに、日本の人口は減少に転じました。出生率の低下と高齢化の進行により、特に地方では人口構造の“崩壊”が進んでいます。
▼ 地方の典型的な現象:
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小中学校の統廃合(生徒数の激減)
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空き家の増加(相続放棄や転出)
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地元企業の廃業(後継者不足)
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病院・スーパー・交通機関の撤退(採算割れ)
戦後の時代と決定的に異なるのは、若者が出ていくだけでなく、戻ってこない、子どもも生まれない、という“三重苦”が同時に起きていることです。
なぜ若者は地方に戻らないのか?
かつては「いったん東京に出て、いずれ地元に帰る」というUターンの文化がありました。しかし現代では次のような理由で、それが難しくなっています。
❶ 地元に魅力的な雇用がない
高度スキルを活かせる職場やキャリアアップの場が少ない。給料・待遇面でも差がある。
❷ 地方の生活インフラが脆弱
医療・教育・交通機関が年々縮小し、「子育てできる環境」として不安がある。
❸ 地域社会の閉鎖性
新しい考えや外から来た人に対して保守的な雰囲気があり、溶け込みにくい。
このように、若者にとって地方は「戻りたい場所」ではなく、「戻れない場所」「選択肢に入らない場所」になってしまっているのです。
将来を支える“人口の再生産”が不可能に
人口が増えていた時代は、ある意味で「放っておいても次世代が育つ」社会でした。ところが今は、子どもを産み育てる世代そのものが地方からいなくなってしまったため、自然増を期待することすらできません。
加えて、都市部でも出生率は低く、国全体としても出生数は年間**70万人台(2023年実績で過去最低)**にまで落ち込んでいます。人口の再生産が完全に困難なフェーズに入っているのです。
地方創生が戦後と違う「構造的な壁」に直面している
地方創生は、単なる「活性化」や「移住促進」では解決できないほど深い課題を抱えています。
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戦後:人口が自然に増えていたからインフラ投資や企業誘致が成功しやすかった
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現代:人口が減る中でインフラ維持も人材確保も困難になっている
つまり、戦後のように「人がいれば経済が回る」時代ではなくなった今、地方創生とは“減ることを前提に、どう持続可能な地域をつくるか”という挑戦に変わったのです。
おわりに:本当の意味での「創生」へ
「地方創生」という言葉は、一見前向きで希望を感じさせますが、その実態は人口減少という“自然の流れ”と、どう向き合うかという難題です。戦後の成功体験が染みついたままでは、現代の地方の苦境を正しく理解できません。
だからこそ必要なのは、単なる“回復”や“再生”ではなく、**ゼロから設計し直す「創生」**です。人口減少という不可避の現実を前提に、「どれだけ小さくなっても幸せに暮らせる地域」を目指す視点が、今求められているのかもしれません。